子どもの泣き声

子どもは私がいないと泣いてしまう。

寝ていてふと目が覚めた時や、私がトイレに行っていて姿が見えない時なんかも。

四六時中私にそばにいてほしいのだ。

 

親になるまでこんなに誰かに必要とされたことはなかった。

それを子どもの愛だと解釈するのか単なる生存本能だと捉えるのかはさておき、

私がいないと泣いてしまう子どもはめちゃくちゃ可愛い。

もちろん行動が制限されることにはイライラするし、

特に寝不足の時なんかは「泣きたいのはこっちだよ・・・」と唇を噛み締めるが、

それでも、私がいないと泣いちゃうなんてそんな可愛いことがあるかよ、と思う。

 

と同時に、それがとてつもなく恐ろしい。

 

実際のところ、それは子どもの愛などではなく生存本能なのだ。

子どもは物理的に自分を世話してくれる人がいないと死んでしまう。

親に愛されなければ生きていけないのだから、子どもは愛されようと必死に努力する。

常に「こっちを向いて!」と訴えるよう本能に組み込まれているのだ。

それをいつからか「愛」だと錯覚してしまう。親も子どもも。

 

 

私はその「愛」を決して裏切ってはならない。

もし裏切ってしまったら、子どもの心に一生消えない傷を残すことになる。

親になるということは、ひとりの人間に多大な影響力を持つことなのだ。

そう考えた途端に「愛」が恐ろしくなる。

 

私の与える十秒間の抱擁で子どもの痛みが和らぐこともあるし、

何気なく放った一言で子どもを十年間苦しめてしまうことだってある。

自分が子どもの立場で経験してきたからよく分かる。

親の手が患部に触れただけで痛みが引いたことは幾度となくあったし、

親の些細な言葉に傷つき涙したことも数え切れないほどあった。

 

いくら気をつけていても、私はいつかこの子を傷つけてしまうだろう。

せめてその傷が浅く済むようにと願いながら私は子を抱きしめる。

今日も可愛くて恐ろしい泣き声が部屋に響き渡る。